企業情報

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創業の想い

1960年創業当時からいままでのコダマの歩みをご紹介します。 株式会社コダマ 会長 児玉昌弘

創業の想い

1970年代コダマメッキ工場(生野区巽東)1960年に私が19歳でバフ研磨加工のお手伝いから始め、そしてメッキを手がけてもう54年になります。コダマは大阪市生野区で創業し、2度ほど規模拡大に伴い移転してきましたが、ずっと、生野区の地で商売をさせていただいています。

生野区の産業は、個人経営の商店・町工場が多いのが特徴ですが、なかでも金属加工・ゴム製品関係の製造業が多く、代表的な中小企業の町です。
私の父は職人の方と二人で研磨加工の仕事をしていました。
私が19歳の時の父の研磨工場は、集塵機などの設備も貧弱で、環境も汚い、汚れるなど、私には、この仕事は無理だと思っていました。高校を卒業後に就職活動をしましたが、就職活動中、母から、私に外に働きに行かず、家業を手伝って欲しいと頼まれたのです。「私はこの研磨の仕事はできない。」だから、営業に出て仕事をもらってくることにしました。

しばらくすると、研磨の材料を購入している商社さんから声がかかり、「研磨より、メッキ屋やったらどうや。」と助言を頂きました。私も「メッキ屋やったら、いいな。」とその気になったのです。しかし、開業する資金は全くありません。それを材料屋の社長さんに相談すると「ワシが設備を買うて、月賦で毎月、売上の中からナンボか返してくれたらええ」とおっしゃって下さったのです。そこからメッキ屋としてのコダマが始まりました。
当初はドアノブや水道の蛇口を美しくみせる装飾メッキを手がけていました。当時は、今みたいな光沢剤がなかったので、無光沢のニッケルをして研磨で光らしていました。その後に光沢ニッケルの添加剤が出来たのを覚えています。ニッケルクロムメッキが主力事業でした。職人さんの休みは月に2日間だけです。毎日一生懸命に働きました。私は飛び込みの営業活動を中心に、建築関連の金物を取り扱っている会社の情報を聞けば飛び込む日々を過ごし、少しずつお客様もついて更に紹介もしてもらえるようになりました。

1970年大阪万博の記念メダル大阪万博当時は毎日、朝から晩までメダルのメッキ加工をしていました 1970年頃には高度成長の波にのり、仕事も順調に推移し生野区の巽東の住所に1階が工場で2階が住居の工場兼住居を購入することが出来ました。そういった中、なんと大阪万国博覧会での、公式メダルのメッキを受注できたのです。その実績を足がかりに、大手自転車部品メーカーのギアのメッキを受注するなど、着々と装飾メッキ分野で実績を上げていきました。設備もパールニッケルクロムをエレベーター方式のラック自動機を導入し、事業は好調に進んでいきました。

時代は動くもの

時代と言えばご存知の通り、1990年前半にバブル経済が崩壊しました。1991年ソ連邦崩壊で冷戦構造が終わったのが大きな分岐点ではないでしょうか。その当時は自転車のギアにパールニッケルクロムをエレベーター方式のラック自動機で大量に流していました。しかし、時代の流れと共にコダマの売上の半分を占める自転車部品の製造で海外との価格競争に負けてしまったのです。そして、バブル経済崩壊と同時に毎年のごとく売上げが落ちていきました。その原因は明白でした。当時のコダマは7年前と何も変わっていなかったのです。「このまま、装飾部品のニッケルクロム中心のメッキだけを行っていれば、価格競争だけで自らの首を絞めて、いずれは潰れてしまう。」その当時、私は強い危機感を感じました。なにしろ、いきなり来月から売り上げの半分を占める得意先がなくなるんです。じっと我慢していても苦しいですが、赤字との闘い、資金繰りなど転換も相当の勇気がいりました。そして、ギアに変わるメッキの仕事を探していたところ、仏壇金具のブロンズメッキをやってくれるところを探していると言うお話を聞いて、始めることにしました。仏壇金具はブロンズの他に金メッキの仕事もあり挑戦しましたが、当時の私の技術では出来なかったのを覚えています。金は薄くつけて、綺麗に仕上げる。そして単価を安くしないといけない。伝統工芸の京都や金沢のメッキ業者さんは上手で、負けてしまうのです。技術に感心したものです。
経営状態はまだまだ苦しい状況で、新しい技術を模索する日々でした。

装飾メッキから機能メッキへ (人・物・金・情報)

その苦しい時が機能メッキへの転換を思いたった時でした。「コダマを存続させるためには・・・」どうすればいいか。会社の方向性を考える中、藁をもすがる思いで大阪市工業研究所の榎本先生に知識とお知恵をかりにいったのがキッカケです。榎本先生から、「今までのメッキは防食や装飾のメッキが多かったが、これからは機能メッキが伸びます。難しい製品でもあきらめず、小さなサンプルをメッキしていくことにより、きっと量産に繋がるので、是非、機能メッキに挑戦されたらどうでしょう」というアドバイスを頂きました。もう榎本先生の言葉を信じるしか選ぶ道はありませんでした。「決断するなら、今しかない!装飾メッキをやめて、機能メッキの会社に生まれ変わる」と決断をいたしました。
そこから「メッキで機能を創造する」という言葉を社内に掲げ「本気でやろう!」と決意。やるからには中途半端はいけない。当社のような小さな町工場では余分な場所などありません。このまま自動機のニッケルクロムメッキのラインを残していたら結局は中途半端な改革で終わると思い自動機をすべて廃棄しました。しかしニッケルクロムメッキしか行ったこともなく、機能メッキのことは右も左もわかりません。先生からいただいた「手始めにスズメッキ、半田メッキ、銀メッキを取り組めばどうでしょう。」というアドバイスを信じ、スズメッキの試作をはじめました。

建築用のドリルネジ。スズメッキで打ち込みスピードを向上させた 設備・仕事の転換は10年かかりました。スズメッキの試作を始めてしばらくすると、知り合いからスズメッキで困っているので相談したい。と依頼がありました。建築用のドリルネジで、打ち込み時のスピード(潤滑性を向上させたいとのこと、今現状のものでは打ち込み時にネジが焼きついて折れるトラブルがあるので解決してほしい。というものでした。最初は単純にスズメッキを行いましたが全く合格しません。そこで試作を繰り返し、工程の変更と液組成を操作し合格することが出来たのです。このドリルネジは、今でもスズメッキの売り上げの柱になっています。
また、私は当時大学を卒業した息子を修行に行かせました。技術の習得だけでなく、大きな会社の仕組みや社会での経験を味わわせたかったからです。預かっていただけるメッキ会社を榎本先生に相談し東京の株式会社三ツ矢さんでお世話になることになりました。私も三ツ矢の草間社長にお礼に伺いましたが、社長は幅広い見識をもった人格者で息子もこの会社ならよき先輩、よき環境で鍛えられ勉強になると確信しました。

一方工場の方は、転換のための資金集めに苦労していました。当時の工場は2度移転しやっと買った100坪弱の小さな工場で、それ以外の資産はありません。ですが、なんとか工場を担保に1億円借りることが出来、その後は少しずつですが小さなサンプル試作から量産に繋げていくことができました。硬質クロムメッキ部門の新設やガラクロームメッキの開発に成功し、徐々に設備の転換が可能になっていったのです。

情報(インターネットの活用)

2001年初めて作ったホームページ 今までのお客様の新規開拓は、飛び込み営業か、ネジ名鑑やプレス工業会の名簿を入手して、電話作戦をしていましたが、効率が悪く成果も出ていませんでした。東京から帰ってきた息子の専務に、新規営業開拓を任せました。そして、ホームページで新規お客様を獲得したいとの想いで中小企業ではITへの取り組みが遅れを見せる中、コダマは2001年に、いち早くホームページを立ち上げました。
立ち上げ当初はWindows95が出て間もなくの頃で、大阪市の助成事業で企業ホームページを作成してくれると聞き、申し込みました。業者に全てお任せしてページを作成・管理して頂いたホームページでした。まだ発注者サイドにITへの取り組みが浸透していなかったこともあり、問い合わせが受注に結びつくことはありませんでした。
そんな時に鍍金組合の事業でホームページ作成の講座があると聞き、人任せではなくホームページを自作でリニューアルしようと始めたのがコダマホームページの原点です。当時は、大阪近辺のお客様とお取引しているのがほとんどです。インターネットを新規顧客獲得のツールとして活用したいと考えていましたが、ホームページを自作で作ったものの問い合わせはありません。本当に問い合わせがないのは企業の取り組みが浸透していないためなのか?と考えました。そこで、商工会議所に積極的に足を運び相談をしたり、インターネット上に存在するあらゆるホームページにアクセスして受注に結びつきそうなヒントを探し回りました。わかったことは安易に作っただけのホームページは役に立たないということです。そして打ち出したコンセプトは、「仕事が取れて儲けにつながるホームページ」
昔は、メッキ屋は受注加工で、昔から口あけて待っていても、黙っていても、お客様がお仕事を持ってきてくれました。現在は、不況になり、待っているだけでは仕事がありません。新規の仕事を受注しなくてはなりません。中小企業にも営業マンは必要だが、簡単には雇えない。そこで、ホームページに営業マンの役割をさせたいと考え、日々自社の「強み」を見つけては、コンテンツに反映させていきました。それまでのホームページは会社案内やカタログをそっくりそのまま掲載していました。ホームページには、経営者の姿勢が出ます。安易にホームページを作成したところで引き合いやお問い合わせがやってくるはずがありません。お客様は何を求めているのか?「自社の技術でこだわった部分はどこか。特化した部分はどこか」メッキのQ&A お困り事例、解決事例などを公開しました。
どんな小さな会社でも強みはあります。うちにはたいした人や技術や設備は何もない。というのはありません。技術を評価するのはお客様なのです。自分で「たいした技術ではない。」と思う技術がお客様にとってかけがえのない技術かもしれないのです。足りないことはお金や技術や設備や人ではなく、情熱ではなかったのか。と考えました。商売のこと、技術のこと、こだわっていること、を文章にすることで、ホームページを通じて、多くの方に自分の思いが伝わり広がっていきました。

社内改革 ISO取得への挑戦 人財育成

社内管理システムの構築、技術の標準化、安定した品質をお客様に提供したい。ISO認証取得をめざしたきっかけはこんな想いからでした。
私の会社は、長い間、個人経営でやってきて会社としての仕組みもなく、ずっと私の掛け声のもと職人さんの永年にわたる技術とノウハウで、仕事をこなしてきました。しかし、「このままでいいのだろうか?」と考えていました。「職人さんが仕事出来なくなったらどうする?世代交代をしていかないといけないことはわかってはいるが若い人材の教育訓練は時間がかかる…。細かな技術までどうやって残していけるだろうか?」また対外的にも問題が出てきました。当時、よくお客様から書類の提出を求められるようになってきたのです。「書類1つ作るのも時間かかり、お客様の監査もある。作業の記録もきちっと取れていない。」
以上のような、様々な課題がコダマにはありました。そこで、最近よく耳にしていた、ISOの話がメッキ組合のセミナーであると聞き、参加したのです。「ISOは、まだまだ大阪のメッキ業界でも大手、中堅のメッキ会社しか取得していない現状の中、コダマでも取得できるのか?取得すれば、会社が具体的にどう変わるのか?」疑問点もあり、参加した後、いろいろな情報を集めました。そうすると、今までコダマが今後の課題だと考えていた事が、ISOの規格の中に、含まれていることがわかったのです。
だったら、挑戦してみようじゃないか!「努力すれば、叶わざる事なし!」そのような思いで、決意いたしました。しかし、セミナーでISOのことはある程度わかったものの、実際に何を取り組むべきかどのような仕組みを作れば良いか、全く検討もつきませんでした。ちょうどその時、同じ南支部の土井鍍金さんがISO9002を取得されたと聞き、相談にいきました。土井社長にISOに取り組む考え方や取得後の社員意識の変化を聞き、俄然勇気が湧いてきました。そのことでISOに取り組む決意が固まり、平成12年にISO9002認証取得へのキックオフ宣言をしました。
仕組みを構築するにあたり当時ISOのコンサルタント会社に依頼すると相場で年間5・6百万円かかりました。その金額を掛けるほどの余裕がなかったため、基本的にはコンサルタントに頼らずに自力で取得を目指し、わからない部分が出てきた時は土井鍍金さんに相談に行くことにしました。その後ある程度システムが構築されてきた時に、大阪府中小企業支援センターでISOの専門の先生を企業に派遣して頂ける助成金の制度に申し込みました。大阪市が3分の1負担、国が3分の1負担、コダマが残りの3分の1の8000円の負担で、マニュアルや規定類のチェックをして頂きました。
現在はISO9001と14001を認証取得 ISOを取得して2年が過ぎた頃には、ISOの仕組みを通じ社員の品質意識が高まりました。今まで現場作業者は標準書の作成を得意としなかった為もあり、作業標準書の作成がされていなかったのですが、ISOの品質マネジメントシステムの導入により、技能の部分についても、
製品の形状、重さ、材質など様々な条件で細かなコツや勘を、作業標準書などである程度、標準化することが出来ました。
課題としては、現状の起こったことに対する処置が多く、積極的な継続的改善や予防処置などが まだまだ少ないということです。今までのワンマン経営から役割と責任を与え、ISOを人材育成のツールとして利用し、社員ひとりひとりが自分で考え判断できる人材になってきました。それがコダマのISO認証取得の最大のメリットではないでしょうか。

社内改革 ISO取得への挑戦 人財育成

私が会長に就き、社長に娘が就任する。娘は2人の弟と会議を持ちました。
「これからは3人で進んで行かなあかん。どうやって生き残るか。良い会社、元気な会社の共通点はどこか?」そんなことを話し合いました。
良い会社、元気な会社は、共通の価値観、方向性をもって、力を合わせている。経営理念やクレドというものがある。ということがわかりました。だから、私たちもコダマの理念を作って、その実践を共にやってくれる人と一緒に進んでいかないとダメではないか。そんなことを話し合い、そこから生まれたのが「コダマ宣言」です。
コダマ宣言の冒頭ではこう語っています。
『コダマ宣言は私たちの基本理念であり、行動の指針となるものです。私たちはこれを共有し実行することによって幸せを創造します。』
毎朝の朝礼で理念の唱和や全体会議では理念の勉強会を行っています。今は社内全体が家族のような温もりに満ちています。まさに全社員がコダマファミリーです。
これからも、メッキ技術を通じて、世界中の人がより快適に生活できる夢の社会の実現に向けて、少しでも貢献したいと考えています。

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