銀の歴史
銀が最初に発見されたのは金と銅の発見の少し後で、紀元前4000年頃に塊状の天然銀としてであった。銀は、その美しい色、加工方法、希少性などの特性により古来より多くの用途が開発されてきた。銀の装飾品や貨幣としての使用は古く、置物や食器にも使われてきた。
銀細工師達はきわめて初期の頃から銀に少量の銅を入れて硬くし、使用中の磨耗を少なくすることを考えた。この銀合金の典型的なものが、スターリングシルバー(銀92.5 %十銅7.5 % )である。
この材料は13世紀初め頃イギリスで公式化されたが、銀貨、銀食器、銀宝飾品などに多量に用いられ、イギリス以外でも広く使用されるようになった。
産業の発展と共に銀の特性が生かされて、電気接点、ろう材、触媒、写真感光材料などの多くの工業用銀製品が開発され利用されるようになった。
銀の最大の欠点は、空気中の硫黄を含む雰囲気で、簡単に硫化銀(Ags)を形成して褐色に変化する。銀の変色を防止する方法が確立出来たらノーベル賞に匹敵するくらいの価値があるくらい難しいと言われている。
銀メッキの歴史
銀メッキの歴史は古く、 1838年、 英国のG. R Elkington と、 H. Elingtonの2人によって提示されたのが最初である。酸化銀とシアン化カリウム、シアン化ナトリウムの入った水溶液であった。 1913年にF. 0. Furaryが銀の硝酸塩溶液からのメッキ液を提唱し、1931年に、E. B. Sanigerは、スルファミン酸液、硝酸塩、ホウフッ化塩、フッ化物塩からの銀メッキの研究を行い、ホウフッ化物塩浴から平滑な析出物が得られたと報告している。
1933年にH. Hic anにより、酸性溶液中に回転陰極を用いてAgを析出させるなどの研究がなされた。 Agメッキは、装飾、工業両分野で広く利用され、特に近年は、電子、通信機部品のコネクタ等への銀メッキ、半導体、集積回路を載せる基板への銀メッキが目覚しく発展してきている。
これらの場合は、通常のメッキ法とは、異なり、高速度で銀メッキをする。 銀メッキ浴は、 Agの供給にはシアン化銀カリウムのような塩を用い、有機酸をベースにした中性のメッキ液である。
機能部品 のメッキ方法についての開発は日進月歩であるが、金メッキほど研究が進んでいない。特にAgの場合、合金浴というものは余り実用化されていなかった。
参考文献:防錆技術学校 めっき科教科書