金メッキの歴史
金は6000年以上の歴史を有する金属ですが、この間、どの金属よりも人間と深い関係をもってきた。人や国家は、金の取得のためにあらゆる努力をし、金を持つことで栄え、救われてきたことは歴史が語るところである。金は、古来から現代に至るまで、人間をひきつけてきた。貨幣と同じ価値を持ち、宝飾品や工業用途として、あらゆる分野で利用されています。
金メッキ加工された接続端子
金メッキの歴史は、イタリアのルイージ・ブルグナーテリ(Lugi.V. Brugnatel )教授によって電気分解を利用した金メッキ方法を1800年に発明されました。その後100 年間は、ヨーロッパにおいては、ニッケル、銅、真鍮のようなメッキが主流でした。金メッキはマイナーで、工場の片隅におかれ、裕福な人々が趣味で時計側、装身具、金属食器等へ数個ずつを金メッキ加工依頼をする程度でした。
アメリカにおいてもプロビデンス、アトルバル地方で宝石細工業者と共に独自の道を歩んでおり、あまり技術的進歩はなかった。1913年にFraryによって金メッキの全体が体系的に解説され、ようやく近代化の第一歩を歩みだした。工業製品にも利用されるようになりました。
光沢金メッキ法は、金メッキ液中に微量の銀を添加する方法が最初で、1950年にE. C. Rinker が発見した。それから酸性金メッキと呼ばれる有機酸を基本にした金メッキ液の開発が盛んに行われました。
1952 年にE. A. Parkerがu (CN) 2を用いてこれに有機酸(クエン酸、酒石酸)を加えた浴でもKAu(CN)2がpH3. 0位でも安定であるという実験結果を発表し、1959年にE. c. RinkerがpH3&5 の範囲にある酸性金メッキを発表しました。
その後、多くの研究が行われ、析出機構の解明、物性面での研究が行われ、ますます拡大する金メッキの需要に対して応用面での技術確立がなされていった。
金メッキ液の型も、酸性、アルカリ性から中性メッキ液まで広範囲に色々な液が開発されています。 20世紀以降は、自動車産業の発展に伴い、自動車部品への金メッキ加工が盛んに行なわれるようになりました。 参考文献:防錆技術学校 めっき科教科書